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「いざ。」と言う時はどんな時?

こんにちは。
田園調布で、書道教室を主宰しております、
佐藤清景(さとうせいけい)です。

よそゆき、とっておき。

私の母は洋服や食器など
よそゆきを別に
置いておく人でした。

小さい頃

「今日は〜に行くから、
よそゆきを着ていいよ」

「えーっ、いいの?」

昭和40年代の田舎はまだ
そんなに洋服が町にあふれて
いるわけでもなく、
母の手作りのワンピースだったり
編んでくれたセーターだったり
がよそゆきでした

母はセンスのいい人で、
私はおしゃれな服を
着せて貰ってたと思います。

この帽子、
(昔は帽子屋さんて町にひとつはあった)
母が買ってくれてとても似合っていました。
私の娘もよくかぶりました。

このよそゆきの感覚、ずいぶん長い間
私の中に浸透していて、なかなか
思考癖を変えられず、
いざっていう時のよそゆきを
いつも別にしてありました

よそゆきってよそゆきだから
特別な時のものだからって
自分の中でも格上げしてしまっている。

だいたいいざってどんな時?
特別な時って??

ないのよ・・・。
そんなに。
そして「いざっ」
ていう時はどうにかなるもの笑。

何かあった時のためのもの
何かあった時っていつ?

だからよそゆきは、
あまり数多くの出番はなく
タンスの奥に眠ったままになります。

素敵な食器は、
ガラス戸棚の中で使われないまま、
忘れられて風化していくように・・・。

私は結婚をして、
引っ越しを繰り返し、
狭い場所にしまっておく場所がない
子どもが生まれ巣立っていき、
家族の形も変わっていくし、
それに合わせて現実に変化を
求められて、私も変化せざるを
得ない状況でした。

今ではずいぶん変わったなぁと
思います。

日常と特別な日の段差を
あまり付けなくなりました。

素敵に年はとりたい
ただ淡々と気持ちよく生きたい。

だから、
今着たいを優先して着るように
なりましたし、
いらないものは、差し上げたり、
手放したりします。

母の教えが
いいとか悪いとかじゃなく

これが当たり前だからする。
といった考える癖を、
見直す、いいタイミングなのかも。

この緊急事態宣言が
あることで感じました。

「ルーティンは安心」でもあり、
「変化は、不安」でもあります。

そのルーティンに縛られていたら?

しなければ「ならない」から
ひとつでも
開放されるといいですよね^^。

最近ずいぶん楽になった実感が
あるなぁと感じます。

写経はルーティンにしています笑。

 

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