こんにちは。
田園調布で、書道教室を主宰しております、佐藤清景(さとうせいけい)です。
私と娘の闘いについて、これから度々書きたいと思います。
闘いの意味は、お互いを受け入れお互いを認めるまでの道のりのことです。
この2月の頃になると、中学受験のことを思い出します。
娘は何校か受けましたが、全敗でした。
2月5日の夕方、近所のママ友達が、「追加募集があるよ」と電話をくれました。
「願書は?」 と私が言うと、
「貰ってきてあげてたじゃない!」と、彼女。
私、「あーーっ、そうだった」と、リビングに積み重ねてあった願書の山の中から探しだして、
学校に電話ほしたら夜8時まで受け付けているとのこと。
慌てて書いて、
「パパ!出してきて!」
「おー」
あの日の奇跡的な連携プレイで、娘はどうにか入学することができました。
今思えば、娘は一度だって、中学受験したいと自分から言ったことがなかったのです・・・。
私が娘を名のある学校に入れたい、見栄の心だけだったと思います。
その当時は、よく人それぞれよね。個性が大事だし、尊重するべきよね。
と、口では言っていました。
当たり前に自分は、「私はそれぞれの個性を大事にする受容の心が広い人」だと、思い込んでいました(笑)。
娘のことを受け入れていませんでした。
だって私が産んだんだもの。私が私好みに育てたい!
私の”我”が全面に押し出されている状態でした汗。
娘の個を見ないで、私が育ってきたように、きちんとした学校に入って、そこで友達作って色々楽しむのが
すてきよ。
そうするべきだし、それがあなたにとって一番よ。って真剣に思っていました。
あなたを思ってっていうのが曲者。
全然娘のこと思ってなかったのです涙。
一生懸命やってるからこそ、視野が狭くなって娘を追い込んでいました。
娘はなんかやりたくないけど、やらないとママが怒るし、ママのいう通りにしないと、。
だけど、意味がわからないから苦しい。とうとう夏休みに肺炎で入院してしまいます。
今振り返るとよくわかります。
こうやって私は娘を通して学んで行く人生のようです。
娘と私の闘いについては、また書きます。まだまだあります。
“我”が強いとまあ人生色々、ぶちあたります。
私がそうでした。
一昨日、娘が私の誕生日のお祝いに花を持って来てくれました。
今娘と一番良い関係です。
“我”をなるべく減らしていく人生
この頃に”般若心経”に出会ったのは、偶然ではないと思います。
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