こんにちは。
田園調布で、書道教室を主宰しております、佐藤清景(さとうせいけい)です。
今日は先日の生徒さんとのやりとりから、【我】について書きたいと思います。
私の友達に料理の先生がいます。
彼女がよく話していたのが、
「生徒さんがレシピ通りに作るって中々難しいのよ。どちらかというと男性の方が大さじ1と言われると、きちんとすりきりの大さじ1を測る。女性の方がいい加減」とのこと笑。
女性は日常で料理をしているせいか、レシピをみながら、ついここはこれくらいでいいやと。
自分の判断、”我”をレシピに入れてしまうことが多いです。
そうすると、レシピ通りにはいかないし、最終的には、味か決まらなくて、おかしくなってきた味を直す為に、
またまた自分流でどうにかしようとする。
そして、いつもの味になってしまい、あれあれ?どうして?と言う感じにしてしまいます。
書でもお手本をしっかり見て、その通り真似をするというのはかなり難しいことです。
ここのハネはこういう感じ。とつい、自分流に書いてしまいます。
こちらでも”我”が出てきます。
「そこハネてないわ、とめてる」
と指摘されて初めて気が付きます。
折角、お金を払って習いに来ていらっしゃるのですから、まず、自分流は捨てて、まっさらな状態で先生に向き合い、習うと良いと思います。
自分の”我”を出すということは、厳しい言い方をしますと、レシピやお手本に敬意を払っていないということになります。
つまり謙虚でない。ということにもなります。
レシピの開発、お手本を書くまでには、その方自身が、それぞれ年月やお金をかけて自分の身につけています。
そういうことを少しでも想像できたら、また違う世界が開けるのではないかなぁと感じます。
決して先生が偉いから言うことを全て聞きなさい。ではありません。
“我”を極力消していって、目の前にある手本に向き合う。その姿勢が大事なのではと思います。
そのようにしていったら、自分の個性がなくなってしまうのでは?皆同じタイプになってしまうのでは?と思ってしまいますよね。
大丈夫^^。
“我”を全て無くすことはまずできないし、”我”を削ぎ落としていく努力をして行った、その先にあるもの、残ったものが個性になるのかなと思います。
個性が欲しい。とよく聞きます。
生まれたその時から既に個性は持っているのではと思います。
その上に人は知らず知らずに、”我”を何層にも重ねて身につけていっているような気がします汗。
自分は常に謙虚で素直であると、割と頑固な方が思いがちです。
意外なことに・・・。
自分の癖、思い込みに気づくことが第一歩。
気がついて、”我”を取ることはできるのか、それはなかなかまた難しいです。
ですから、体で覚える為に書や、何かの習い事をするのだと思います。
体で覚える為に繰り返し、繰り返しです。
私も師匠のところに通って、リセットしながら道を進んでいます。
私もたくさんの”我”を抱えながらです。
ですから、教室で私が絶対の上で、全て支配するのではありません。ご安心ください、笑。
続けて行かれることをお勧めしています。
続けていっているから見えてくるもの、先に何があるのかを楽しみに続けてみるのがいいのではと思います。
何か今の現実を変えて行きたい。とお思いなら、まず、新しい何かに飛び込んで、気づくこと。
目からウロコなことがあるかもしれません^^。
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