こんにちは。
田園調布で、書道教室を主宰しております、佐藤清景(さとうせいけい)です。
大雨の夜から雨が上がり、朝、昇ってくる太陽は嬉しいですよね^^。
今日は生徒さんとのお話しから。
彼は色々な肩書きをお持ちの方ですが、医学、量子力学などが専門です。
(ごめんなさい、私は全く詳しくはわからないの)。
例えばノーベル賞を頂くような方は、発明するわけですよね。
つまり研究の過程で閃くわけです。
その閃きは、確信的なものです。
確信ですから、その閃きに基づいて研究を進めてノーベル賞を頂くようなものを作ることが、できるらしいです。
しかし、誰にでも閃きはやって来ないです汗。
彼曰く…
【もののあはれ】がわかっていないと閃き、インスピレーションは湧いてこないそうです。
そこで私、【もののあはれ】って?となりました。
正直わかっているような、なんとなくしかわかってない。
辞書の意味はこちら
もののあはれ(もののあわれ、物の哀れ)は、平安時代の王朝文学を知る上で重要な文学的・美的理念の一つ。
折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁である。
苦悩にみちた王朝女性の心から生まれた生活理想であり、美的理念であるとされている[1]。
日本文化においての美意識、価値観に影響を与えた思想である。
出典: フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)
そして、「ものの」は「もののけ」(物の怪)からきているそうです。
「あはれ」、それは森羅万象を自分の我を捨て、ただただ写し、五感で受けとるみたいなもの。でしょうか、、、。
つまり私達は、地球のあらゆるものと一体で生きていることを自覚して生きていないと、結局は閃きはやってこない。
なかなか伝わり辛かったらごめんなさい。
私達の日常に例えれば、季節の移ろいや、植物の規則性など目にとめて写し、感じて見ることから、始めてはということでは
ないでしょうか?
閃き、インスピレーションなんて私は必要じゃないなんて否定せずに。です^^。
だって「今日何食べようっ」て考えて、浮かんでくる時がありますよね。
それちょっとしたインスピレーション⁉︎笑
目に見えないものを、全く否定するのではなく、もっとスピリチュアルに生きてみてもいいのでは?と感じたのでした。
スピリチュアルって変な宗教に結びつけがちですが汗、そうではなく、もっと五感を生かして生きていくことが楽しみを見つける近道かも。と思います^^。
彼と話していてあーと、何かまた腑に落ち、物事の真理って結局人生の、どの道を歩いていてもひとつなんだって
思ったのでした。
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