こんにちは。
田園調布で、書道教室を主宰しております、佐藤清景(さとうせいけい)です。
ただ今東京から京都に向かっている新幹線にて記事を書いています。
なぜ京都に向かっているか?
師匠がいるからです。
何故そんな遠いところの師匠についているのか?
以前は東京まで月2回出稽古にいらしてたんですが、お年を召してきたこともあり、東京教室を閉めることになりました。
代わりに私が京都に伺うことに。
“大変ですね。”とよく言われます。
もちろん毎月新幹線代がかかりますので大変です汗。
ですが、師匠のところには全国から生徒さんたちがいらしてますので、東京からはまだ近い方かもしれません。
今日お伝えしたいのは、何故、時間とお金をかけて師匠のもとに通っているかです。
もちろん教えを請うためが第一にあります。
その教えは書の作品のことはもちろんですが、そればかりではありません。
書という道を進んでいる中で時に楽な道を選んでこれくらいでいいやなどと思って、師匠のところに持って
行く時があります。
そんなことは師匠はお見通しでして、“もっとしっかりやりなさい”と必ず言葉や、作品を通して諭されます。
自分のやり方の癖、悪い方の癖、それを直す為に通います。
もうここまで(限界です)、という時に後ひと押し、頑張りを出す気力を下さる時もあります。
気づきを貰う為に、自分を律する為に、師匠のもとに通っています。
師匠その人が律する方だから、私達もそれを見習います。
書の道も色々あり、たまに横道に逸れることもあります。
そんなことお見通しなのでしょうが、少し黙って見てて下さり、あー、もう気がつかなきゃならない、時に
師匠はベストなタイミングで王道に引き戻して下さいます。
私も教室で先生をしていますが、これが、納得でして、生徒さんが家で書いてきたかどうかは、すぐわかりますし、
どう書きたいのか、どういう風に進んでいきたいのかは、だいたい感じとれます。
よく見えるのです。
ということは私も師匠に、見通されていたんだということがよくわかります汗。
このことは教室を開いて、先生になって知ったことです。
慣れ、ルーティン、これも大事ですが、慣れからは魅力的な作品は、生まれないような気がします。
慣れた手つきでどうだっ!なんていう書を師匠は一番嫌います。
自分を律すること。これを大事にしています。
師と仰げる人との出会い、どなたにでもあることと思います。
その方との出会い、ご縁に感謝しながら。
好きな道を進める幸せもあります。
色々な事情で断念せざるを得ない場合もあります。
書ける幸せがあり、また一日を過ごすことがありがたいことだなぁって思います。
色々な気づきがある書。
よかったら、体験DAYにいらしてみませんか?
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