こんにちは。
田園調布で、書道教室を主宰しております、
佐藤清景(さとうせいけい)です。
2025年夏。映画『鬼滅の刃』の興行収入が大きな話題となっていますね。
私はまだ見れていないです。
夏は書の競技展の締め切りがたくさんあって、家にこもって書いている次第です。
映画館に行きたいです。行かねば。
さて今日は私の大好きな天元さんの話ではなく、煉獄杏寿郎さんの話を少ししたいと思います。
「光」と「闇」を認めること
この世界には、光と闇、プラスとマイナス、表と裏のように、対になるものが必ず存在します。
闇がなければ光がわからないですよね?光がないと闇がわからない。
多くの人が「光」を良いもの、「闇」を悪いものと考えがちですが、
片方だけではもう一方の存在を認識することはできません。
映画に登場する煉獄さんは、誰が見てもまっすぐで美しい魂を持ち、ひたむきに鍛錬を続ける「光」の体現者です。
しかし、どんなに美しい人にも、必ず「闇」の部分は存在します。
例えばそれは、嫉妬心、ずるい気持ち、自分を卑下する心など、誰もが抱く感情のことです。
その闇とじっくりと向き合えたら。
たぶん煉獄さんの放つ光も違った光になって、より強くなったかもしれないと思うのです。
もちろん、これはあくまで私個人の考えです。受け取り方は人それぞれ違いますから、
そうではないと感じる方がいても、それはそれで素晴らしいことだと思います。
認めることで生まれる「本当の強さ」
私たちは、理想の自分を演じようと、こうした「闇」に蓋をして隠そうとしがちです。
「良い人と思われたい」「あの人は良い人よね」と言われたら、その信頼に応えようともっと良い人であろうとしてしまう。
そして、知らず知らずのうちに自分の闇に蓋をしてしまいます。
しかし、無理に隠そうとすると、その反動で心に無理が生じ、かえって苦しくなってしまうことがあります。
その時に「あ〜、私は色々な面を持っている」と客観的に見られたら、理想的だなと思います。
闇はどんなに隠しても、必ずさっき閉めた蓋からはい出ようとしてきます。
なぜなら、闇もその存在を認めて欲しい。と言っているから。
認めたくないものを認めるということは大抵の人にとって難しいことです。
人は知らず知らずに理想の自分、「私はこういう人のはず」、と、決めつけて過ごしています。
あたかもその理想の自分以外は「ない」ものとしてしまいがちです。
そうしますと奇妙な出来事が起きたり、思いもよらない日々がやってきます。
それが自分への「忠告」です。
でもそんなにすぐにできませんよね。
ただ時々、「あっ、今私はあの人がうまくできていて、羨ましいと思う心があるんだな」
と自分で自分を観察できると良いと思います。
するとなんだか心が暖かくふわっとなると思います。
そのふわっとした気持ちが「幸せだと感じる心」に似ているような気がします。
そこから、幸せが始まるような気がします。
そして、自分の中の「闇」を受け入れることで、「光」はより深く、優しく、そして強くなります。
それは、ただ眩しいだけの光ではなく、他者を包み込むような温かい光です。
この「柔らかく強い光」こそが、誰にも真似できない自分だけの「個性」となります。
外に答えを求める必要はありません。本当の個性は、すでに自分の中に存在しているのです。
この考え方は少しスピリチュアルに聞こえるかもしれませんが、宗教的な話ではありません。
自分をありのままに受け入れることで、人生はより豊かになる、という私なりの解釈です。
ご自身の時間を持ちながら、ゆっくり向き合ってみませんか。
10/1(水)に体験DAYtがございます。
よろしければご参加ください。年内最後です。
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