【書道の深淵】師匠にはお見通し。文字の「余白」が教えてくれる、謙虚さと心の整え方

こんにちは。
田園調布で、書道教室を主宰しております、佐藤清景(さとうせいけい)です。

先日師匠の稽古にいって参りました。

書道には臨書(りんしょ)といって、中国の書聖と言われる人の美しい書をお手本にして、できるだけ忠実に真似て書く課題があります。

こちらがお手本。

人生の中で、何度も繰り返し書くのです。

書聖・王羲之の書

私が今回取り組んだのは、中国・東晋の書家であり「書聖」と仰がれる王羲之(おうぎし)の『十七帖』。

かつて唐の太宗皇帝が彼の書をあまりに愛するあまり、自分の墓にすべて埋めてしまったという伝説があるほどの名品です。

今私たちが目にしているのは、すべて当時の「写し」なのですが、本物を一度見てみたかったですね。

 

「手慣れ」という罠。師匠はお見通しです

何度も繰り返し書くうちに、だんだん上手くはなるのですが、そこには「手慣れ」という罠が潜んでいます。

ついつい「これは得意だから、こんな感じでいいや」

そんな、お手本に対する謙虚さを欠いた気持ちは、師匠にはすべてお見通しでした。

どれくらいの枚数を書いたのか、どんな気持ちで筆を持ったのか……。

「この字の、この空きの大きさが手本と違うね」

師匠のその一言でハッとしました。
私は「白い部分」、つまり余白を全く見ていなかったのです。

師匠に言われ、この字のこの空きの大きさが。
お手本と違うなぁって・・・。



自分で書いたものです。
白の部分の空きを全然見ていない。

あー、本当だ。全然違う。

黒い文字と同じくらい「余白」が大事

自分では「これこそ、お手本通り」と完璧に書いたつもりで持参した作品も、師匠の前では全滅でした。

師匠曰く、「書は黒い文字も大事だが、白の部分、余白が大事」

もう一度最初から、初心に戻って謙虚に向き合わなければと背筋が伸びる思いでした。

教える立場になって気づいた「心の重なり」

面白いことに、私が自分の教室で生徒さんたちを見ているときも、同じように色々なことが「よく見える」のです。 「ここまでは楽しく書いていたでしょう?」 「今日は少し迷いがあるかな?」 書いている時の気持ちが、そのまま線に現れる。誰かが言っていましたが、先生という立場に立つと、不思議と見えてくるものがあるのですね。

先生になって気づいたことがあります。

面白いことに、私が自分の教室で生徒さんたちを見ているときも、同じように色々なことが「よく見える」のです。

「ここまでは楽しく書いていたでしょう?」 「今日は少し迷いがあるかな?」
書いている時の気持ちが、そのまま線に現れる。

誰かが言ってましたが、先生として教室で生徒さん達を見るとよく見えます。と。

上手になること以上の「発見」を田園調布で

とはいえ、怖がることはありません笑。

お家で練習してこなくても大丈夫。まずは教室に足を運んで、その場で筆を持ってください。

学校の「書道」の時間とは少し違う、大人のための書道の時間。
そこには「上手になる」こと以外にも、自分自身を見つめるたくさんの発見があるはずです。

2026年4月清景(せいけい)書道教室お稽古日のご案内

 

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