「過去」に生きる人。「今」を生きる人。

こんにちは。
田園調布で、書道教室を主宰しております、
佐藤清景(さとうせいけい)です。

過去に生きる人。
もれなくつまらない「今」が、ついてきます汗。

先日、テレビを見ていたら、
イチローさんが高校生の質問に答えていました。

その質問とは、
「大会を優勝で終わった。
次の日からのモチベーションをどうしたら良いですか?」

イチローさんは
「優勝したことは、次の日には過去になってるから、
過去のことは忘れて次に進めば良いんだよ」

的なことを言っていました。
(おおまかな会話です)

そうなんです。

例えば嬉しいことも
ずっと感じて、過ごしたいけど、
残念ながら、嬉しさも過去のものになり
薄れて行きますね。

最近母と話すことがあり、
「年を取ると過去のことばかり思い出す。
だいたい過去にしか思いが行かない」

人は「あれをやった、これをやった
過去を認めてもらいたいんだなぁ」
とその時話しながら感じました;。

母も、自分の母、旦那さんを看取りました。
大変だったけどやり遂げました。

だから認めてほしい(認めてください)
なんですね。

この看取った時点から、
何ひとつ、人生で充実してないかもしれません。
(時間が止まってしまっている)

母は「あなたも年を取ったらわかるわ。」
と言います。

人は人生を進めていくうちに、
過去の輝いていた時代、容姿に、
思いを馳せたいようです。
特に年を重ねれば、尚更です。

私は定年まで働いたからもう充分だ。
だからここからは何もしたくない。

私は会社で重積を担ってきた。
その延長で老後も過ごしたい。
定年後も権力のある意識で過ごしたい。

どういう意識でもオッケーです。

これら全てが、、
全て過去の出来事です。

定年まで一生懸命やった自分は、
素晴らしいと自分でほめたら

次へ。

今を生きる。

どれだけ難しくしているのでしょう。

人についている、
鎧のような、色々なブランド。
役職。
人からどう見られるか等、

それらが本来の自分の求めているものを、
遠ざけてしまうのでしょう。

あえて言うなら、
本来、皆、般若心経でいう、無。

魂(肉体のない状態)だけで
付き合えたらどんなにラクかわかりません。

年をとっても、若くても、
今つまらないなら、その現実を作っているのは

自分自身です。

(よろしけばばこちらもご参考に)
えー、だって、私はこれこれで、大変で無理なんです。

これこれの事情を作っているのも、
自分自身です。

しっかり今の現実を見て、
どうすればいいかを考える。

全てはそこからです^^。

今を見る時に決していい訳をせず、
真っさらな気持ち、中庸な視点でみる。

そしてもし、見てみて、
でも何もできない、
今したくないと思ったら、

あー、
私は出来ない人なのだと、
自分で認めること。

出来ないことが
悪いことではないです。

認めると次の希望の芽が、
出てきます。

全て今の日々がつまらないと感じ、
昔はよかったなぁ、

でも私は、昔の輝いていたときを
思いながら生きていくと、
決めたならそれもOKです。

その場合は、
人をうらやんだりつまらないと
不平不満を言わないことが条件かと感じます。

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