否定するということは、気になっているということ。自分から受け入れるということ。

こんにちは。
田園調布で、書道教室を主宰しております、佐藤清景(さとうせいけい)です。

「誰かに認められたいと思って生きてきた。でも最近虚しい。」

という話を聞きました。

昭和という時代もあったのだと、思いますが…。

結論から申しますとその希望は、なかなか叶えられません。

じゃ、どうすればいいの⁈と憤慨されそうですので、また答えを申しますと、自分で自分を認めて生きるのが、たぶん心の空洞を埋めるのに適しているのでは?と感じています。

誰かに認められたい方は大抵、負けず嫌いの方かしら?と感じます。

自分では負けず嫌いとは決して認めません。

「私は負けず嫌いではない」とさえ思っています。

自分の本当の気持ちに長い間蓋をしていると、ある気持ちも【ない】ことになってしまいます。

認めるということは、受け入れるということ。

ですが、認めるとなると、もともと認めたくないものを認めることになるので、負けたことになるようです。

または自ら先に認めたくないので、相手が認めたら、私も】認めますと言います。

友人や夫婦間にありますね。

また芸術の世界でも、日常でこんな事が起こっています。

自分の作品「は」認めてもらいたい。

それはそうです。

認めていただいて、「良いですね」と人から言ってもらい、できれば、購入してもらいたいのが本音です。

でもつい、やってしまうのが、私の作品を見て見て!と愛するあまり、他の方の作品に対してマイナスの評価をしてしまうこと。です。

「下手よね」
「ここがダメよね」などなど…。

まずは、他の方の作品を受け入れてみる。

そうすると自分の作品も受け入れていただけると思います。
(受け入れてもらいやすいです)

良い、悪いの判断は、必要ないのです。

難しいのが、自分から率先して手を広げてオープンな心で受け入れること。

自分からっていうのが難しいみたいです。

相手がしてくれたから、お返しに「しであげる」というのは、スムーズにできる方が多いです笑。

実は、私は、20代の頃まで負けず嫌いでした汗。

負けたくない為の努力も出来たのでした。

ですが、子供を産み育てていくにつれ、

「あれっ、うちの子は色々と違うぞ???」
「あれっ、頑張って良い学校に入れたいけど、あれっ???」

と、負けず嫌いが発動できなくなりました。

そして、先生に頭を下げることも、頻繁にありました。

私の負けず嫌いは、あっと言う間に崩れていきました。

語り始めると逸話はたくさんありますが、娘の個人情報ですし、笑。

その娘は今は結婚して働きながら、二人の子供の母をしています。

うまく子供を育てているなあと感心しています。

彼女を丸ごと受け入れるのに、20年ほどかかりました。

今は良好な関係です。

娘に私も受け入れてもらえたような気がします。

とても心が晴れて気持ちがいいものです。

全てを全て受け入れる必要がありませんし、バランスは大事ですが、自分の否定してたものをひとつ受け入れてみては?

否定するということは、気になっているということ。

関心のないものはまず気にかけることも全くないです。

そして、ご自身の本音に気が付くのに、自分だけの時間を持つことも大切です。
(体験dayもありますので、ご自身に向かう時間作ってみられるのはいかがでしょうか?)

清景書道教室について

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