こんにちは。
田園調布で、
書道教室を主宰しております、
佐藤清景(さとうせいけい)です。
この場合の闘いとは
母と娘がお互いを受け入れて
認めあう
までのことをいいます。
最初は大手の塾に通わせました。
が、ついていけなくなります。
娘は身体が大きかったので自分の
身体の成長に対応するのに
まず追いつかなかったみたい。でした。
目も悪くなりはじめ、
クリアに見えないとストレスですよね。
私も今老眼で眼鏡をしたり、
外したり、面倒ですから
今になればそのストレスが
理解できます。
最大の変化は生理です。
眠いのです。
勉強しなくてはならないのに
睡魔との闘い。ふーっ。
まあよく考えてみれば
その時期はたっぷりと成長の為に
睡眠をとることが一番ですよね。
あーっ、どうしよう。
寝せてあげたい。
でもあと一年だし、
第一やめられない。
ここでやめる手もあった
けれど今までの色々もったいないし、
挫折感味合わせたくない・・・。
とかなんとか、色々理由をつけていました。
物事がうまく行く時って
パズルのようにはまって
風が吹いて運んでくれますよね。
が、こちらは典型的なダメな方です。
乗り越えても、乗り越えても
次々、ハードルが、、、
家庭教師の先生も頼みはじめます。
その当時売れる前のバイトとして
ヒャダインさんが来てくれていました
「偏差値がうまくとれないんです」
と私。
「頭は悪くないんだけど、
どうしてとれないんだろう」
と、ヒャダインさん。
今考えれば、娘は真剣にやって
なかったんだな、娘にとって
どうでもよかったんだなぁって
わかります。
そのまま受験の日に突入。
結果は前の記事に、、、
2月になると娘の中学受験を思い出します。個が大事よ。と口では言いながら「あなたのため」と言う「我」の強さで娘を縛り付けていました。一生懸命やってるからこそ、視野が狭くなって娘を追い込んでいました。自分の中にある「我」に気付き、色々な出来事も起きて自分の中の「我」を減らしていきました。...
現在、一連の受験騒動は
笑話しになっています。
受験をやってよかったこともあります。
親子三人で必死にやりきったこと。
何の後悔もないのです。
それと、その受験のさなか
娘に私の気持ちを伝えられたこと。
「偏差値なんかたいしたことではない!
あなたのいいところ
背が高くて手足が長いとこ
優しいところ
決して人を傷つけないところ
その他たくさん」
それは偏差値に換算できない!
だから今だけの
このシステムの中だけだから、
気にするな!
二人で泣きに泣きました。
娘は大学を卒業してから
言ってました。
「偏差値のない今、最高」って
何かにもがいてる最中のとき
視野を広げるひとつの手立てに
なるかもしれません。
般若心経いかがでしょう?
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